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「国府台の歴史」
社長ブログ

2015.12.17

  弊社、モデルハウスのある「国府台」は市川市でも古い歴史をもち、法皇塚古墳(ほうおうづかこふん)が現存しています。国府台の地名は、下総国府が置かれたところから付けられたもので、この国府台と並んだ国分の台地には、聖武天皇の国分建立の詔(みことのり)によって国分僧寺と尼寺が建立されました。

下総国における政治と文化の中心だったということです。

 

  平安時代の中ごろには、平将門の乱をはじめ、平忠常の乱などによって国守の力が衰退していきました。源頼朝は治承4年源氏の再興を願って下総国府に入り千葉常胤、平広常などの援助のもと兵を集めて鎌倉に向かいました。

いわば、国府台は源氏再興の出発点となったところなのです。

 

  戦国時代には太田道灌が国府台に城を築き(文明11年1479年と伝えらえています) 、やがてこの城は里見、北条両氏の古戦場として知られる所となりました。 天正18年(1590)、徳川家康が関東を治めると、国府台は江戸俯瞰の地であるところから廃城となりました。その後、江戸川には小岩と向かい合って関所(市川)が設けられました。

 

  明治5年学制の公布によって、国府台には、大学校設置が計画されましたが実現せず、陸軍教導団の移転と共に台上一帯は兵舎の立ち並ぶ軍隊の街となりました。昭和20年、太平洋戦争の終結によって、兵舎が校舎に変わり、練兵場がスポーツセンターとなって、今日のような学園地域に変貌したのです。

  弊社の国府台モデル(市川市国府台4-1-24)にお越しの節は隣接する「『ふれあいの道 ★』<国府台4丁目>の散策と「回向院さんの喫茶室☆」での休憩をお勧めします! 最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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<記載内容は市川市サイト他の情報を参照させていただきました>